葦は手折られない

日本のどこかで息づく女 ダイエットのこと、思うこと

なぜ摂食障害のひとにアドバイスすべきでないか

摂食障害に限ったことではないのだけど、

「共感はすれど、求められないアドバイスはしない」が鉄則だと思っている。

 

 

 

家庭の事情や個人の経験、認知の歪み、人間関係...デリケートな要因がいくつも潜んでいる問題に対して、その多くを言語化し、さらに発信できる人はごく一部。

こちらからは見えていない苦しみ、ふるまいからは想像できない背景が、いくらでもある。

摂食障害は、そうした問題の最たるひとつだ。

 

 

 

そうしたことを知らないまま、善意に満ちたアドバイスや声かけをすることはとても独善的だと思う。悪意がないのは分かっているから、「ありがとう」と返すかもしれない。それで声をかけた側は「役に立ったんだ」と感じ、満足する。その行動に意義を見出し、これからもやっていこうと思うかもしれない。

それがうまくいけばいいのだけど。

実際は、当事者は言われなくても自分で分かっているし、それでもできなくて苦しんでいる。「他の人から見れば、やっぱりそうなんだ。そうできない自分はおかしいんだ」「やっぱりこの気持ちは、分かってもらえないんだ。自分はいけないんだ」と、余計に苦しませるのがオチである。

 

 

 

当事者以外が当事者より問題に詳しいなんてことは大抵、あり得ない。当事者以外の人間の傲慢である。

 

 

 

 

 

 

ここまで読んで、怒った人がいるかもしれない。

「でも、自分の情報発信を参考にしてくれた人が実際にいる!」


「じゃあ、体験をもとに今苦しむ人にアドバイスしちゃいけないのか!情報発信しちゃいけないのか!」

 

...そうじゃないです。私も情報発信してるし。

それが無意味でないことは、かつて私自身が救われた経験からよく知っています。

 

 

 

要は、それが「あなたのためなのよ」感を醸し出さなければいいわけです。自分も嫌やん。

 

分かった風にかけられた言葉よりも、

 

誰に向けてでもない、でもきっと届く誰かに向けて、とつとつと一人語られた言葉の方が、かえって救われるんじゃないかなあ、と思ったりするのでした。

 

 


めんどくさくてごめんね。

でも、たぶん摂食障害界隈だけに言えることじゃないと思うんだ。

あなたと同じくらい受け取る側も優しいからさ、だからこそいろいろ考えてしまうんだ。

 

 

 

 


そゆこと。

低体重による無月経からの脱却【Twitter質問箱より】

Twitterアカウント(@hksmm_313)の質問箱に、こんな質問が届いた。

 

『ダイエットに夢中になりすぎて、生理が止まるほどやせてしまいました。あわてて食事量を増やしていますが、太るのが怖いです。どうやったら考え方を替えられるでしょうか?』

 

答える前にね。

質問送ってくださった人、えらすぎません!?

だって、必死にダイエット頑張って痩せたのに、今度は増やせって言われて、それでも自分から食事を増やそうって頑張ってる。

偉すぎるでしょ。痩せる幸せも大変さも知ってるのに、また頑張ってるんだよ。

 

 

無月経への葛藤は、ダイエッターあるあるなのかもしれないね。これを読んでくださってる方にも、同じような状況の方がいるかも。

ちょうど2~3年前の今頃、葦もおんなじ思いを抱えていた。

低体重で毎日ふらふら、少しでも食べる内容が狂えば一日不安定になったり低血糖か貧血でぶっ倒れたり、パニック障害まで併発してしまった。「体重が増えるのが怖い」っていう状態は、それだけで終わらなくて、本当に24時間休みなく脳を占拠して、苦しめてくるよね。

ほんとにダイエットの延長線上だったんだ。痩せていなきゃいけないって義務、使命感みたいになってた。

 

質問にお答えするにあたって、以下の順番でお話しします。

①そんなあなたはえらすぎる。最高

②少しでも安心して、食べられるようになるにはどうしたらいいか

③生理を起こすお薬について

 

①そんなあなたはえらすぎる。最高

まだ褒める?褒めるよ。松岡修造先生ばりに褒めるよ。

だって太ってるのが嫌でダイエットしてきたのに、今さら太れなんてさ、努力は無駄でしたって言われてるようにさえ聞こえるもん。私はそれをどうしても受け入れられなくて、結局何か月も低体重のままで、治療がめちゃくちゃ大変になっちゃった。

だから今気づいて、食べるようにしようって決心して行動してる、それだけで、あなたはめちゃくちゃえらい。賞賛に値する。だから自分をまず死ぬほど褒めてほしい。

私も褒める。えらい!!!!

 

②少しでも安心して、食べられるようになるにはどうしたらいいか

さあ、じゃあ何から始めようってなったとき。

怖いのは、

「今までやってきた我慢のリミッターを外したら、過食してしまうんじゃないか」

「体重がどんどん増え続けるんじゃないか」

ってことかも知れない。

 

まず、なんで生理が止まっちゃうのか。

生理止まるってことは「栄養足りなくて緊急事態だから、生きるために、無いと死ぬ身体機能(消化とか)以外は順番にストップさせるやで」という状態。

犠牲になるのは、月経とか自律神経。だから鬱や統合失調症摂食障害は、非常に密接なつながりがある。

 

枯渇した体はとにかく栄養を貯めこもうとするし、食べないダイエットをしたなら代謝も下がってるから、「貯めなきゃ!」って信号が出て、はじめは少し食べただけでも体重がぐっと増えてしまう。

ここで「やっぱり増やすの怖い!やめる!;;」ってなってしまうんだよね。

だけどこれは体の仕組みなのであって、怖い気持ちは、あなたの意志の弱さのせいでも、だらしなさでも全くない。怖くて当たり前なの、頑張ってきたんだから。

ずっと体重がそんなハイペースで増え続けることもない。体が「もう大丈夫」って思ったら急増はちゃんと止まります。もし目標より少し増えすぎても、ちゃんと戻ります。

 

 

食べる量を増やすことへの、葛藤を乗り越えるための提案が二つある。

①好きなものから食べてみる

ダイエットで、食事にいろいろ制限をかけるよね。糖質が高いものはダメ、お菓子は禁止、揚げ物は禁止、とか。その網目に引っかかってご無沙汰している好きな食べ物、私はもう忘れかけちゃってたり、体重が増えるもの=「こわいもの」認定されてたりしたけど、仲直りしていった。これを食べたら何をどう頑張っても即太る!なんて食べ物、ないから。

葦は大好きだったチーズケーキをまたおいしく食べられたとき、うれしかったなあ。食べたいものをリストアップして、食べられるものから食べつつ、一週間に2つとかずつ消化して、食べることを楽しいことに変えていった。

 

②自分に合う食生活探し

食べることへの恐怖心をぬぐうため、あとどうせ食生活をリセットするなら健康になろうと思って、食事とか栄養についてかなり調べた。当時はやってたMEC食とか、糖質制限食とか、菜食とか。

結果、私にはマクロビとか菜食の類は合わなくて、ゆるめの糖質制限が合ってた。糖質を一度に摂りすぎると、2時間後くらいに猛烈におなかすいたり眠くなったり、過食を引き起こしやすくなる(詳しくは「機能性低血糖症」で調べてみてほしい。このことについては別の記事で後日エントリします)

から、それがひどかったのを治すために、糖質制限はめちゃくちゃ役に立ちました。たんぱく質をしっかりとると、急激に太らないし、疲れにくくなる。

今はたんぱく質80gを目標にして、炭水化物はお米80gくらいとか、ブランパンとか。ダイエットのためでもあるけどね。(結局別のストレスで過食に移行したから)

 

はじめのうちは、数値目標は明確にしなくてもいいと思います。今はすごく神経質になっちゃっているなら、好きなもの食べつつ、肉や魚も拒否せずたべてあげよ、それくらいで、十分すぎる。

メイバランスとか、栄養とカロリーを消化しやすい形で摂れる補助食品も必要なら上手く利用してください。

 

あと、激しくなくていいから、歩いたり走ったり自転車乗ったり、少しスクワットとかプランクとか調べてやってみる。筋肉で体重を増やせると、疲れにくいし代謝が上がって太りにくくなります。貧相にもガッチリムキムキにもならず、しなやかになります。マジです。ジム通ってる女の人の写真とか、韓国のアイドルグループの写真とか見て。超きれいだから。

 

 

「どうしたら考えを変えられますか」

って質問には書いてあったけど、変えるのめっちゃ難しくないですか??

だって痩せてきれいでいたいもん。だから頑張ったんだもん。生理なんて来ないなら来ないで楽だもん。体重が減ると嬉しいもん。

今私もそうです。そう思う。痩せていたい、その思いのまま。だからダイエットしてるんだ、几帳面な性格がいつの間にかずいぶんズボラになって、うまくいかないことも多いんだけど。

だから、言ってしまえば、考えは変わらなくてもいいと思います。

ただ、健康だけは自分で守ってあげさえすれば。

 

 

※もし、今絶食に近いとか、かなり極端に食べていない(毎日500kcal以下とか)の人は、胃腸がかなり弱っていて、いきなり食べると体がびっくりしてしまって病気やいろいろなリスクがあります。通院・入院しながらの克服を強くおすすめします。これだけは最悪、命にかかわるので、約束ね。

 

拒食が長い人にいきなり食べさせちゃいけない理由もこれです。

 

 

③生理を起こすお薬について

2、3か月以上すでに無月経だったり、BMI18.5を上回っていても復活しないようなら、産婦人科を受診してみた方がいいかもしれない。何か別の病気の可能性もあるし、それも一緒に調べてもらえるから。

お薬は何種類かあるようだけど、大事なのは、「合わなかったら薬もお医者さんも変えてもらう」こと。

私はプラノバールを処方されてて、効果のある人もたくさんいるんだけど、人によっては腹痛とか吐き気とかいろいろあるみたい。私はその副作用めちゃくちゃ出る人で、「こんなに吐き気に苦しむなら生理なんか来なくていい」と泣きじゃくりながらお医者さんに訴えました。マジで死ぬと思った。ご無沙汰してた生理痛、めっちゃ痛いし。

そのお医者さんはプラノバール以外処方してくれなかったので、結局病院ごと変えて、別のお薬にして事なきを得ました。3か月くらいの治療で、自力で来るようになったかな。

ホルモンバランスをお薬で無理やり整えるので、鬱になったり過食したくなったり、お薬使っても大変なことはままあります。Twitterとかで調べても多くの人はそうみたい、もちろんスッと克服できる人もいるけど。自然に来るまで、どうしてもお薬を使いたくないというのであれば、それもいいと思います。

 

 

 

質問箱にブログで返すとか、告白の返事が家の合い鍵レベルの所業だと思うんだけど、かねてから書こうと思っていた内容でもあったし、Twitterだと文字数の関係で見づらくなるので、見返せるようにブログにしました。

 

質問者さん、ありがとうございます。

ずいぶんと長いお返事になってしまったけど、自分から変化する行動をとれるのって本当に素敵だと思います。

気づくのは100人、始めるのは10人、続けられるのは1人って、よく言うけど。

もう踏み出したあなたなら、あとは成功するだけみたいなもんです。

きっと、大丈夫。

無理やわってなったらまた質問箱とかDMとかに「無理になっちゃいました」ってそっと送ってください。一緒に泣くし、一緒に褒めるし、一緒に歩きます。

 

 

娘が摂食障害になったら

摂食障害カテゴリのブログを読んでいると、意外と当事者だけでなく、親御さんの立場からの声も多く見られる。

「何も話してくれない」「なんとか無茶食いをやめてほしい/ごはんを食べてほしい」「大幅に変わった体型や大量のゴミを見て心配になる」...

 

 

ああ、申し訳ないな、という気持ちになる。

 

私は当事者、娘としての立場だ。

 

こんな時、親はどうするのがいいんだろう?そう、悩んで下さる親御さんの、なんと少なく、有難いことか。

親が変わらなきゃいけないパターンほど、親は子供のせいにする。逆も然りだ。

 

 

●原因と、心の中

●覚えておいてほしいこと

●どうしてほしいのか

この3点について、私の知る限りのこと、考えることを、述べさせていただければと思う。

 

 

●原因と、心の中

・(性的)虐待やネグレクト

・何気ない傷ついた一言

・登校の強制

・いじめられていることへの無理解

・きょうだい親戚との比較やえこひいき(外見に限らず、成績や性格の比較も原因になる)

家族が原因となる場合で多いのはこんな原因だ。もちろん他にも色々。

 

SOSの表現だったり、ゆるやかな自殺・自傷だったり、つかの間の逃避だったり、心のバランスだったり、一人ひとりにとって摂食障害は何らかの意味を持つ。ただ、それを当事者自身が言語化できているとは限らない。習慣と化してしまうともう、ますます分からなくなる。「自分は普通じゃない」「ダメ人間だ」という焦りばかり募って、なぜそうなったのか、本当に、どんなに考え尽くして悩み尽くしても、分からなくなる。

 

大袈裟でなく、一日じゅう一人ぼっちで、闘い続けているような状態なのだ。

血糖値の乱れ、自己否定、自己嫌悪、いつも心は荒れ狂っていて眠れない。眠るか食べるほかに逃げ場もない。ただ寝たり食べたり泣いたりしているわけじゃない。

生きるので、精いっぱいなのだ。

 

 

●覚悟しておいてほしいこと

本題の前に少々物騒なカテゴリを置くのも何だが、私の知る限りで、「これは親御さんに知っていてほしい」ということをここにまとめられればと思う。

 

摂食障害は甘えじゃない。完治するとも限らない、長期戦。

食べなかったのが食べるようになったから、低体重じゃなくなったから、過食のゴミが出なくなったから、ああ良かった、というものでもない。食べ物や見た目へのこだわり、縛りは、ずっとずっと脳にこびりつく。かなり長い間、ほぼ一生かけて向き合う敵だ。

こころの風邪でも甘えでもない。本人が弱いからなるじゃない。人一倍頑張り尽くして、それでも、もう立ち行かなくなって、症状として現れているのだ。

 

 

無月経、鬱の併発など、身体に及ぼす影響は大きい。入院の可能性もある。

特に女性の場合、体重があまりに減ったり増えたりすると、月経不順をはじめとして様々なリスクがある。お子さん本人も調べて知っているかと思うが、親御さんも覚悟というか、知識として持っておいてほしい。

精神科やカウンセラーにかかる必要がある場合もあるけど、無理に引きずって行ったり、行きたくない様子を隠さざるを得ないような期待した態度を見せたりというのは、くれぐれもやめてほしい。

精神科にかかるなんて恥ずかしい、親戚に顔向けできないじゃないか、とかは論外。割といるけど。

もうすでに不安で溺れそうなのに、最後に縋れる身内にまで追い討ちかけられたら、あっけなく親御さんへの我々の信頼はマイナスになるから。取り返しつかないよ。

 

 

○死にそうなほど神経質になっている。

「昔はこんなきつい物言いしなかったのに」と、お母様が嘆いているのを時折見かける。「親に怒鳴ってしまった。情けない。悪いのは私なのに」と泣いている子の声も聞く。

お子さんの優しさとか、我慢とかそういうのを超えたストレスがあるからこそ摂食障害になってるのに、それをお子さんのせいにするのは違う。これは、声を大にして言う。

これは同時に、あなたの子育てが間違ってたわけでは決してない、という事でもある。

 

 

 

●どうしてほしいのか

そんな中で、親御さんに我々はどうしてほしいか。

 

①親のヘルプ、親自身の変化が必要な場合

親との触れ合いや対話を必要としている場合もある。その時は、どうか拒絶しないでほしい。味方でいてくれて、責めないでいてくれて、生きていていいと言ってくれる。それだけで、我々は闘える。

もし、甘えだと突き放してきたのなら、遅くないから今すぐ謝って、改めて。お願い。

 

転校したいとか、環境を変えたいという声は、必死に勇気を振り絞った結果だから、どうか可能な限り検討してあげてほしい。心身の健康を犠牲にしてもついに耐えられなかった環境に、根性論で再び放り込むなんてことはしないであげてほしい。

 

ガマンにガマンを重ねたひと(長女さんに多い)の場合は、お母さんに対して多少赤ちゃん返りしてしまうかも。それでも、それが今は必要なのだ。いつまでもは続かないから、どうか手遅れになる前に、甘えるのを今は許してあげてほしい。

今まで我慢してきた分なのだ。この歳にもなって甘えるな、なんてことは、決して言わないで。

 

②そうでない場合

これはもう、ひたすらに、「放っておいてほしい」。

もう少し親御さんに親切に言うと、「食べものにも体型にも絶対に触れないで、腫れ物扱いしないでほしい」という意味だ。

大量のゴミ、異臭のするトイレ、過食に圧迫される家計、食べ物の1グラムにすら執着されるストレス、神経質なふるまい、大きく変わった体型。我々が色々隠すから、よけいに心配なのは、分かっている。我々も痛いほど分かっている。申し訳なさでよけいに死にたくなっている。

自分の中での戦いで精いっぱいで、もうどうしようもなく親御さんに甘えているのだ。今はこれが精いっぱいなんだと。迷惑心配いっぱいかけてごめんなさいごめんなさい、毎日泣いている。

ただ、淡々と生活していてほしい。気晴らしに買い物か散歩に誘ってみて、行くと言われたら行ってあげてほしい。外出しても食べるものやタイミングは、あなたの好きにしていいよと言って。(←ここ事前に伝えてもらえると、安心感が桁違い)

 

お父さん(お母さん)も大変なんだよとか、食べものにお金が飛ぶからお仕事増やしたんだよとか、そんな本音は、こちらのワガママでマジ心の底から申し訳ないの極みだが、お子さんには言わないであげて。分かってるんだ、子どもは親が思うより、親の苦労を分かってる。

 

お子さんが吐いていそうなら、歯だけは磨いてねとか、ゴミは袋に入れておいてくれたら見ないで捨てておくからねとか、食べたいものは言ってくれたら作るからねとか、簡単な約束だけ決めておいてくれるとさらにありがたい。神。

 

間違っても、食べ物のゴミをお子さんの目の前に並べて見せたり、(拒食から食べるようになった人に)食べて偉いねとか健康的になったじゃないって言ったりとか、そんなことはしないようにお願いします。いっぱいいっぱいの心は簡単に死にます。

干渉はしないけど、無関心じゃないんだよってこと。それが、言葉なしに伝わったら、我々はそれがなによりも有難いから。

 

 

 

こんなものかなあ。

もちろん、一人ひとり抱えてる問題も、家族にしか通じない色々な事情もあるから、これはほんの参考。

 

お子さんのために、心を痛めてくださる親御さんへ。

親御さんにどうしてほしいか分からなくなった、仲間へ。

 

 

 

寒いねと話しかければ寒いねと

「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ」

 

言わずと知れた、俵万智さんの代表作の一つである。

この詩を初めて読んだ中学2年生の時、もちろん恋人なんていなくて、「友達とこういうやりとりがずっと出来たらいいな」って思っていた。友達の少ない、おさげメガネのいじめられっ子は、彼女のエッセイをぼろぼろになるまで持ち歩いて読んでは、水よりもするりと心を通り過ぎる言葉と万智さんのたんぽぽみたいな愛らしさに焦がれたものだ。

 

「風俗嬢が文学なんてキレイなもんに言及するな!」みたいなのは知らん。私は万智さんの作品が好きだ。

 

昨日の21時半ごろ、強烈にこの詩を思い出した。

接客の終わりだった。

いつも通り淡々と消費されて、頭は空っぽで、体は不快な摩擦と湿度に耐えていた。

とりあえず満足したっぽい相手が背を向けたとき、ふと、呼びかけようとして、

呼べる名前がなにもなかった。

「お客さん」「お兄さん」じゃない。過去にお付き合いした男性でもない。家族や友達でもない。

呼びかけたい誰か、誰もいない、身体を重ねても、呼ぶ人はいない。

虚しさを呑み込んで金を得るのが仕事だから、今まで気にも留めなかった「寂しさ」という感情が、突然強烈に襲い掛かってきた。

「なんでもないですよ」と言って、気持ち程度に笑った。そんな感情、相手には関係ないもん。

 

 

「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ」

 

ああ、だから寒いのかと、思った。

 

他人と他人と他人と他人がたまたま近くに生息するだけのこの世界に、味方なんてものがいるとすれば、それは家族とか友達とか、特定のグループの事じゃなくて、

「生きてるよ」って知っててくれる人のことだ。

一人では持て余す感情を、そうなんだねって受け止めてくれる人のことだ。

嬉しさも寂しさも、どうせ心の外側へは1%も出ていけないのだから、自分で面倒見てやるしかない。でも、「わたしがわたしとして生きているよ」って、必要な情報として受け取ってくれる人のこと、代替不可能性がほんのちょっとでもあること、それによってわたしたちは、やっと安心できるから。

わたしはわたしたりえるから。

その危うさを餌にする、依存症の虫けらどもは、自分で自分の面倒も見られないならどっか行けよ。

 

ここには何もないぜ。

普通に食べられない

私が大学時代を通じて、200回は検索窓に打ち込んだ言葉だ。

 

 

食べるのが怖い

拒食 治す

過食 治す

拒食 過食

食べたくない  食べたい

拒食症 食べる 太る

過食 吐けない 吐かない

 

もうお前それは誘導尋問やろ...としか思えない検索履歴である。本人も分かっている。それでも毎日毎日、ありもしない救いを求めて情報を受け取り続けた。

誰も助けてくれないのは知っていた。せいぜいが、私は治ったから貴女も治るよ死なないで、なんてどこかの知らないお姉さんになだめすかしてもらえるくらいだった。それでも、救いだった。

 

 

拒食、チューイング、非嘔吐過食。体重は20kg以上一年で増減した。

過食嘔吐以外は一通りやった。吐くことだけはできなかったし、それだけは本当に身体を壊すからやらないで、と摂食仲間のお姉さんに固く止められたから。

 

摂食障害の何が辛いって、頭の中の占拠率がエグい。本当に毎日の生活が文字通りタベモノの奴隷。何をいつどれだけ食べたら太らないのか、常にタベモノ様のご機嫌をとり、カロリーは敵、体重は成績より重い評価基準になり、誰でもない自分に全否定される感覚。食事が楽しいなんてみんな正気か?って感じ。

食べているのを見られたくなくて、毎日トイレに隠れて歪なお弁当を口に詰め込んだ。揚げ物は噛んで吐き出して流した。死んだ目で大量のお菓子を口に押し込んだ。泣きながら壁を蹴った。過食したらお腹が痛くて気持ち悪くて、講義にも行けずに90分泣き続けた。

 

 

原因は何となくしか分からない。

部活と受験のストレスで痩せたら褒められたから、もっと痩せようと思った。そしたら強迫観念が止まらなくなった。それだけ。珍しくもないと思う。

母親が絡んだり、兄弟や友達と比べられたり、何かしら心に穴があって、それを埋めたくて、みたいな子も沢山いる。そうじゃない子も沢山いる。原因は何であれ、みんな同様に苦しんでいる。「普通に食べられない」ということに。

 

 

結論から言えば、私は今、ほぼ寛解状態。

完全に脱したと思えている人、感覚は残ってるけど気にせず生きられるようになった人、摂食障害ごと受け止めて健康には生きられるように気をつけている人、いろいろいる。

 

本音を言えば食べずに痩せていたい。食べないって摂食障害者にとってほとんど唯一解の絶対的な理想だから。

自分は今欲望に打ち勝って、

自分に打ち勝って、

罰されながら、

他の人がやれないことを成し遂げている、

護られなきゃ消えてしまうよというSOSを体をもって表現している、

あの子に勝っている、

その高揚感は手放しがたい。

 

 

宗教みたいなもんだよ、摂食障害って。

 

 

悩んでることの根幹に、解決策みたいな顔して居座られたら、躍起になるに決まってる。甘い顔して、仲間がいるぜって引き摺り込んで、あとは体がどうなろうと自己責任。

 

 

ほんとにその問題の根幹はそこにあるの?

痩せたら全て解決するの?

自分に問う思考力も奪われて、思考停止して、痩せれば、食べ物を詰め込めば、それさえしてればいいんだよって。

 

 

お前が何をしてくれた?

 

 

摂食障害に殺される人、殺されそうでもう何も分からなくなって諦めたくなっている人、居ると思う。私もまだ時々そうなる。

 

でもね

摂食障害って宗教みたいなもんなんだ。

だから無敵じゃないんだ。

大きな悪魔みたいに見えてるだけ。

あなたがあなたによって立つことができれば、何も怖くない。

越え方が分かれば、困難は怖くなくなる。

たとえ困難そのものがなくならなくても。

 

趣味でも、勉強でも、仕事でも、日々の小さな幸せ、何でもいい。悪魔を無視できるくらい、あなたを惹きつけるものを見つけて。

 

過去に数え切れないくらい何度も、どうしたら摂食障害治るんだって泣き喚いたけど、自分で自分のこと分かるまで間違ってその度に乗り越えるしかないよ。

完璧なんてありえない。生身の人間は機械みたいに条件揃えれば希望通りに数字を管理できるなんてこと、ない。

 

宗教は弱い人間の思考停止のために作り上げられた麻薬だから。

自分で考えることができる人間になるしかないんだよ。

病気に依らずに、自分でいること。

それはある意味病気という特別に守られていた存在から、「何者でもない」という世界に身を投機すること。

怖いよ。

病気でも、宗教でもいいから守られていればよかったって何度も思うよ。

でも大丈夫。

一度越えた経験を持ってみる。今日はごはん楽しかったって。一日でいい。また戻ってしまってもいい。一度越え方が分かったら、困難は怖くないから。縛られてた悪魔はちっぽけだったって、振り返ってみたら初めて分かるから。

 

 

 

処女喪失、という言葉。

 

処女喪失、という言葉。

 

何をもって喪失という言葉を当てはめたのか、その理由は定かではないが、バージンロードを白いウェディングドレスで歩けるのは正式には処女の女性だけらしいし、白無垢の短刀は貞操が危うくなったら自害するためのもの(どう考えても相手がクソ)らしいし、どうやら我々はそれを守り抜かないといけないっぽい。

知ったこっちゃねえよ、と思う。

 

 

こう言うと「さぞ遊びまわってる女なんだろうな」と思われそうだが、クラブどころか合コンも行ったことないし、セフレもいない。グレずに大学だってちゃんと行ったし、20歳まで処女云々の前にお付き合いした人もいなかったし、男子に最後まで名字+さん付けで呼ばれる委員長キャラだった。

 

たぶん100人はいるんじゃないかな。もっとかな。

私の身体を知る人に、私の名前を知る人はいない。

匿名の、あいまいな笑いを浮かべた、半分商品半分人間、風俗嬢としての私だ。

風俗街のビルの中、湯船とベッドと悪趣味な色のタオルに囲まれて置かれている商品だ。

 

「はじめまして、今日は来てくださってありがとうございます。暑いですね」

にこやかに商談でも始まりそうな、そんな会話の数分後、初対面の男女はキスをして、裸を晒して、あろうことか性行為に及び、60分とか90分ひとしきりヤったのち、何事もなかったかのように他人同士に戻る。女性の方は静かにまた陳列棚…部屋に戻り、次に手に取られるのを待つ。

なんともインスタントだ。コンビニのメロンパン200個分の値段で、我々は売られている。

 

時間になれば、そのきっかり半分を封筒に入れられて渡され、仮初めの名札を脱ぎ捨てる。ぴったりと体に張り付いたドレスを脱ぎ捨て、終電に駆け込んで、タクシーに乗り込んで、身を沈めて、初めにふっと息を吐くとき、我々は生き返る。にんげんに、戻る。

 

 

私の処女喪失は、そんな場所だった。

彼氏の家でも、連れられて行ったらやたら内装が豪華だった人生初のラブホテルでもない。

何千何万回と少女が売られてきた、ほこりっぽいベッドの上だった。

何年何月何日かも、名前さえ知らない相手の顔も、もう忘れてしまった。

 

ヤバいよ。こんなの強烈なコンプレックス形成待ったなしじゃんね。

まあこんな事をブログに書く時点でお察しだが、強烈なコンプレックスは強烈な優越感に結びつくことがしばしばある。「他人とは違う」ということを、アイデンティティにすり替えて、「特異性」たるレアアイテムを手に入れる。ファッションリスカと何ら変わりない。

 

貞淑でまじめな女性の、裏の顔。

ネット漫画でヒットしそうなコンテンツだ。多分アダルトビデオの棚に履いて捨てるほどある。消費されるために生まれたようなコンテンツ、それが「そのものとして価値がある」ことと同義でないのは自明だ。顔が整っていて演技が上手くてスタイルが良ければいいのであって、外側はタケウチリョウマでも、アラタマッケンユウでも、スダマサキでもいい。可愛くて握手を嫌がらなくて歌が歌えて文句を言わずに笑っていればいいのであって、アキハバラでも、ナントカ坂でも一向にかまわないのだ。

 

 

つまり、単に手垢のついた人間ぽっちだ。

 

 

 

そんなわけなので、好きな人とセックスしたことは、ないに等しい。

それはつまり、人間としてのわたし、本名のわたしは概念上処女だと言って差し支えないと思っている。この拗らせ方はどちらかと言うと童貞だが。

私が思うに、処女とは膜だの性器の出入りだの、そんなくだらないものは基準にならない、もっと概念的なものだ。個であり続けることは前提として、他者と一時的に深い共有を試みる、それが成長段階としての処女喪失、なのではないかな、と思う。

黒歴史よりおねしょの秘密より深く、なけなしの個性らしき服で包み隠している、肉体というものを晒すのだ。そこには欲も汚さも習慣もちゃんとある。温度、目線、声、息遣い、表情、ボディタッチ、およそコミュニケーションに使いうる全てをもって、信頼に寄りかかって行うコミュニケーションだ。延長というよりは総集編である。

セックスがそれほどご大層なものかは個人差が大いにあると思うが、それほどのものをインスタントに済まそうとすれば齟齬が生じるのは当たり前である。面識のない相手とあらゆる段階をすっ飛ばしていきなりコミュニケーションのラスボス戦に挑むわけだから。

風俗が悪いものだとは思わないが、それを受け入れてしまうのが仕事の我々を、ケガレ扱いしたくなる人々の言語化しがたい違和感は、ここからも来るのかもしれない。

 

 

おかげさまで男性観も貞操観念もバグってしまった人間だが、そのくらいのバグで人生はシャットダウンできないので、私は今日も働く。埃っぽい陳列棚で、SからLLまで業務用コンドームを揃えて、手に取られるのを待っている。

いや、我々をそんなに受動的に捉えられるのは癪だ。

我々はカネと引き換えに大小さまざまな齟齬を嚥下し、愛の5歩手前くらいまでの経験を売るエンターテイナーであり、プロなのだ。客が一人でもいればその時点で我々はプロなのだ。

 

 

見下されているのが分かっているから、睨みつける。

我々は同じ地平に立つにんげんであると。